しかちゃんのブログ(酉)

白米を汚して暮らすよ。

『ぶきような嘘』を観てきた話

『ぶきような嘘』という舞台をがっつり観に行ってきた。

無事、初日から千秋楽まで無事終わった。良かった。本当に良かった。

最後の暗転では気持ちが高まりすぎて、涙をおさえることができなかった。

 

予定通り初日を迎えられたこと

千秋楽まで誰一人欠けることなく終えられたこと

それがどれだけ尊くて、貴重で、奇跡であることかを考えると、堪えるなんて無理だった。

 

この年、わたしたちはどれだけ悔し涙を流しただろう。眠れない夜を過ごしただろう。

今だって、沢山のあの夜の日々を思い出すと、やりきれない思いが涙になってこぼれてゆく。

その悔しさとやり切れなさの全てを、わたしはこの公演にかけた。

 

コンビニのレジで、無感情にジャラジャラと返金されてきたお金のほとんどをぶち込んで、行けるだけに行くことにしたのだった。

 

予定通りの初日の幕開け、印象的な音楽のあとに広がっていった世界は、目を覆い、耳を塞いで叫びたくなるくらい、苦しくて辛くてしんどかった。

「なんでお前がそれを知っているんだ」

そう、叫びたくなるくらいに、私の過去と重なった。

そんなことある?ってくらいに、年齢も感情もリンクし続けていって、混乱と動揺がおさまらないまま、暗転とカテコ。

ひどく動揺した。息が出来なくなるくらいに混乱した。

感情の整理のしようがないまま、フラフラと帰路に着いた。

 

こんな、衝撃的なストーリーだなんて知らない、聞いてない。なんて、まあ、それはそう。当たり前のことなんだけど。

 

こんな突然に、長年ふたをしてしまい込んでいた腹の中のものを引きずり出されることになるなんて、予想もしていなかった。

そんな目にあう人間がいるなんて、恐らく造り手側も想像していないと思う。

 

なんて、思い上がりすぎるくらいに、物語は私の半生をぐりぐりとなぞった。

気持ち悪くなった、吐き気がした、横になっても目眩がするくらいにはやばかった。

 

そして何より

「え、明日も明後日も、その次の週も行くんですけど…」

えーもうヤダ!行きたくない!つらい!しんどい!こわいこわいこわい!ってなったけど、行かないという選択肢はなかった。

次の日も、その次の日も朝起きて身支度をし、劇場に通った。

 

そして印象的な音楽が鳴って、そのままあの世界に繰り返し入り込んでいった。

 

2度目、3度目と回数を重ねる毎に、言動の意味に気づいてゾッとする。

そして、何度見ても「あんなに沢山笑ったじゃない、なのにどうして…」って思ってしんどさに飲み込まれていく。

 

しんどいけど救いはあって、その救いのおかげで息をして日々帰路についた。

 

健のほんとうは、わたしのほんとうだった。

健の嘘も、わたしのほんとうだった。

健が得られたものは、私が得られなかったもの、そしてこの先も得られないものだった。

太郎の欲しかったものは、わたしも欲しかったものだった。

だから、その全部がめちゃくちゃに痛くて苦しくて、そして羨ましかった。

 

ラストシーンで健が太郎にかけた言葉たちが、私の救いとなった。

それに気がついたのは、12月7日の夜公演からの帰宅後で、おいおい泣きながら、救いの台詞を繰り返した。

 

結果として、もう見たくなくてふたをして、しまい込んでいた腹の中を再確認したのは良かったんだと思う。

 

それでも、私が今まで思ってきたことの真実とか、正解に辿り着ける日は未来永劫に訪れない。

この魂の死後に、その答えにありつける保証もない。

 

罪悪感を抱かなくていい、お前が感じたことを信じればいい、憎しみは消えなくてもいい、お前はお前でいい。

 

私自信が、何を真実とするかを決めて、信じたらもう、それでいいのだ。

な、いいよな。

 

 

健の長台詞に、怒号に何度も繰り返し心臓を掴まれた。ただでさえしんどいのに、その迫力に溺れて息が止まった。捕らえられた視線から逃れることが出来なかった。何もかもにどんどん気づいていく健がアツかった。手の演技がくぁ〜!!!!!ってなった。

日替わりの名乗りでだいたい自分で笑っちゃってて毎度死ぬんかと思った。しばらく役名がわからないから、その名乗りを名前として捉えるしかなくて、シリアスなシーンで例えば「セクシーパスタさん…」ってなるわけ。心を全部もっていかれる。

楽で何度も手を叩いてぜんじに脳みそダンスを踊らせてるのは安里勇哉だった。わるい顔してて愛した。

長安里勇哉、ほんっっとに大変だったと思う。色々なことを考えれば考えるほどに、その心情は想像よりもずっとくるものがあったとおもう。出し尽くして立ち続けた姿が凛々しくてほんとに最高だった。はちゃめちゃに愛してる。

 

ぜんじが、宮下さんがほんとにやべぇ、感情を突然かっさらっていく。犬を呼ぶな。野球すな。お洋服がめちゃくちゃかわいい。丈感もシルエットも最高。100点。最終的にめっちゃヒロインだし最後何かの罰みたいにカバンを投げつけられてて割と心配した。あばら骨は無事なのだろうか。

 

太郎の怒りのガチみが強くて、バチバチに刺さってそれはそれはとてもキツかった。後半感情移入しっぱなしだった。太郎もお洋服のシルエットが100点。

 

ミズはふとした時に5歳の女の子に見える時があって、ハッとした。そして強い子。あれは強い。そして白めっちゃ似合う。

 

チコはほんまこわい。ほんま震えたし、わかった上で重ねて震えた。あー!わかります〜って思いつつも震えた。

 

じゅんはワンチャン。そしてめちゃめちゃ要。お洋服がかわいい。パンツのシルエットが100点。

 

キキは危機。そして鬼気迫る感あって、そしてそして震えながら酒飲むん見る度痺れた。膝毎回強打してた気がして心配。

 

平岡はもうほんとちゃんと悪い。あとちゃんとこわい。怒鳴る時とかほんと、ヒェッ…ていつもなる。

 

北根、みみっちさがあって前半好感を置ききれないのが後半でめっちゃかっこよくなる。千秋楽のクライマックスのセリフの言い回しがすげえ腑に落ちてグッときた。

 

もーとにかくメインビジュアルがまじ天才過ぎた。

色味と音が最高に好きだ。あとなんて曲使ってるか教えてほしい。落ちたい。

 

物販楽しかった。

買いそびれてた蛇と亜種のポスター販売してくれたの神すぎだった。しかもポスターとパンフがセット?エッ?イインデスカ!?って思わず喚いてしまった騒いですみませんびびるんだわ。びびるんだわ!!!

ポスターどっちも家宝にします。

フレーム買うぞー

 

濃厚な日々と時間でした。

ほんとうにありがとうございました。

 

 

追記 

以前、私オムさんのことを見かけると、話しかけていいかもよくわからず、ついうっかりガンをつけてしまうという話をご本人にお伝えしたら、話しかけていいよ〜とお返事をいただいたのですが(インスタライブで)

いざエンカウントすると、びっくりしてそのあとめっちゃガンつけるしか出来ませんでした。

道端にいる寄ってこないけど見てくるネコいるでしょ、ほぼそれ。わたしはねこ…

(何この追記…)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから下は、完全に自分語りになる。

自分が苦しかった話の上っ面を書きたいから書く。

 

読んで楽しいことなんて何一つない。

しかも、嘘みたいな気分の悪い話をする。

 

一緒にゲロ吐いてやろうって思うなら、見てくれるといい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が14の時に、私の母は亡くなった。

病死ではあったが、彼女は、生き続けることを諦めた。

元々、彼女は私が産まれてから、彼女が死ぬまで、自己満足のために、気が向いたときだけ気まぐれにわたしを愛でた。

歯を毎日磨くこと、お風呂に定期的に入ること、下着を毎日取替えること、わたしはそんなことも知らなかった。

その家には、わたしの歯ブラシすら存在しなかった。

 

彼女は物書きで、自宅で仕事をしている人だった。

邪魔にならないよう、暗くなるまでずっと家の外にいた。天気が悪い日は部屋の襖をしめて、とにかく家の中で音を出さないようにして過ごした。

 

父は、2番目に産まれたわたしには少しの興味も持たなかった。産まれたときに会いに来ることも、一緒に暮らすこともなかった。

彼は、私と親子関係を築けることがないまま、数年前にこの世を去り、私はそれをWikipediaで知った。

彼の死についてネットの海を漁ると、正体のわからない女が、彼をパパと呼んで悲しみに暮れていた。何なんだ、誰なんだお前は。

最期をむかえてもなお、親子関係を築くことは出来なかった。

 

でもきっと、彼らが生きていたら私はずっと苦しかったんだと思う。詳細は割愛する。

 

いま、わたしに家族は居ないけど、大した不自由もなく、笑って幸せに暮らしている。

 

だから

彼女が早くに死んでよかった、心からそう思ってる

彼が死んでいてよかった、心からそう思ってる

 

 

ママのことが大好きだった。

抱っこして欲しいときに抱っこしてくれなくても、お話を聞いてくれなくても、授業参観とかに1度も来てくれなくても、ママのことが大好きだった。

病気になってからは、ママはわたしのお話を聞いてくれるようになったから、病室でママと過ごすのがすきだった。

たまの外泊で、ママと一緒の部屋にお布団をしいて寝るのがうれしかった。

それでもあの女は最期まで自己満足のために私を愛でた。鬱陶しそうにされることも多々あった。

全部わかってた、それでもあの頃のわたしは、ママと一緒にいれたらよかった。

 

ママが死んだ時、どうしてパパがお迎えに来てくれないのかが全然わからなかった。

当時はまだ存命だったのだが、お葬式にも来なかった。

どれだけ待っても、あの男はわたしに会いに来なかった。

 

そのあいだ、わたしはずっと血の繋がりもねえふざけた大人どもに殴られ続けて暮らした。

顔を殴られて口の中が鉄の味でいっぱいになる、なんて14歳の子が知らなくていいことだ。

そしてその翌日に顔が腫れることも、声が出しにくくなることも、紐で首を絞めてみてもすぐにどうにもならないことも、裸足で道路を走って逃げた時の足の裏の感覚も何もかも、14歳どころか、一生知らなくてよかったことなんだ。

 

嘘みたいなんだ、わたしのほんとうは。

 

しんどかった。つらかった。信じられるものなんて何も無かった。それでも誰かを信じたくて、繰り返し裏切られ続けた日々だった。

 

裏切られた傷は消えない。それを引っくり返す言葉はない。

 

そうだとして、私は何を信じて、何を期待して、何に裏切られたのだろうか。

 

それでも、わたしのほんとうは今や過去でしかない。何をどうしたって過去は変わらないし、昨日も今日も、私は笑っていた。

 

答えが出なくても、傷が消えなくても、私は今までもこれからも笑って生きていける。

 

だからそれで別にいいんだと思う。

 

何もかもに理由付けしてたらキリがない。

 

生きるのに理由なんてなくったっていいんだ。