背骨をこうする
むかしのはなし
イターイ話をする
母が再婚し、引越し&転校をしたのが11歳の3月。
六年生の一学期からは引越し先で知らんおっさんと母と兄弟と暮らすことになった。
が、母がある日入院し、知らんおっさんからの加害が笑えない程度になり、卒業式間近に控えた頃に私は保護されることとなったのであった。
最初に保護された先は、外出することもままならず、卒業式にも行けるはずがなかった。
別に行く気もなかったけど、小学校を卒業してない?みたいなステータスが追加されたことは、当時は微妙な感じだった。
(今はネタとしておいしいかも、とか思ってる)
中学生活が始まる前、私は保護先から施設に預けられることとなったのだけど
残念ながら、その施設では陰湿な精神的虐待の日々が待ち受けていて、ただでさえあんまり真っ直ぐ育っていなかった私はさらにさらに心を閉ざし、鬱屈した思春期を過ごすこととなるのであった。
具体的に何があったかとか、細かくはさすがにもう思い出せないけど、裸足で逃げ出したり刃物を出されたり、頬を打たれて宙を舞ったりと、アクロバティックな数年間だったと思う。
廊下に飛び散った鮮血を拭いたりとかさ、口の中が鉄の味でいっぱいになるとかさぁ、経験しなくていいんだよこんなことって。誰も声に出して言わねえ。
ほんと、いらない経験ばかりした気がする。
つーか血の繋がりがないおっさんからの加害から逃がすために預けた先で、戸籍上のつながりすらないさらにさらに知らん大人たちからボコボコに加害を受けるとか、どうなってんだって話なんだよな。
当時の関係者各位は、私の母親に対して骨が見えるくらい地面に額を擦りつけて謝ってしかるべきだっただろうし、母親からしたら、ほれはどれだけ謝ったって足りないことだったと思う。
私への謝罪?謝った側が気持ちよくなりたいだけの贖罪タイムなんか設けるわなくない?って考えなので大丈夫です。
そうこうしている間に他県で死んだ子が出たり、こどもの権利条約の冊子を渡されたりしたんだけど、誰かが私をほんとうに助けてくれることは当時無かったし、母は死んで、実父や親戚が迎えに来ることもなかった。
未成年のわたしは、血の繋がった人たちに何度も何度も捨てられたのだった。
…ってのは全部本当にあった話なんだけど、
この嘘みたいな地獄のような日々から抜け出して、その後10年ちょっとは気を病んだりもしたからまだまだ苦労もしたんだけど
いまのわたしは、それはそれはとても幸せに暮らしているわけなのです。
春先に麻疹が流行って話題になりましたね。
人と多く接する仕事をしているため、免疫どうなってるかキニナル~って思って。
なれど、母はとっくに死んでるから聞けないんすよ。
ダメ元でおばに聞いてみたんだが、ご存知であるわけもなく。
まあでも私にはね、母子手帳がね、あるんですよ。
ただ、私の母ね、母親としてはそんなに積極的な人ではなかったので、私3ヶ月検診しか行ってないみたいなんですよね。
なるほど私が生まれてからの記録ほぼなくて、なので予防接種の記録なんぞ、ねえ。
無かったんですわ。
そこで思い出したのがこの地獄に預けられてた期間にかかった病のことで。
私の記憶が正しければ~あれは~麻疹なんだけど~いや~定かじゃねえ~
と、言うわけでもうこうなったら真剣必殺お問い合わせです。
預けられていたあのクソみたいなうんこのようなところへ、意を決して電話をしたのです。
もろもろを思い出しながら、ゲロ吐きそうって思いながら。
結果、私の記録はもう破棄されていました。
あ、そう。そうなの。
じゃあもう私がここにいた記録も消えてるということは、もうこんなクソなところのことネチネチ覚えとらんでよいのでは?????
私はもう本当の意味でこんなほんとクッソみてえなもんにしばられることもなくなったんだヤッター!!!!
みたいな気持ちになったわけです。
いやそんなもっと込み入った感覚があった上でなんだけど、そんな興味ないでしょ。
私はまたひとつ、悲しみや苦しみから解き放たれて、今とこの先を、幸福に暮らしていくわけなのです。
(麻疹の件は、ワクチン打った方が早いです。)